打線組んだとは?
あるテーマについて、野球チームの打線になぞらえて紹介するネットでおなじみのコンテンツです。
ルール
- 出身地は、出生地で統一(出生地が不明な人物は除外)
- 選出の基準は、業績・実績・知名度・エピソードなど
- 各種記録は、2020年2月1日時点のもの
- 敬称は省略
県出身の有名人打線
1(右) 尾田栄一郎
2(左) 橋本愛
3(指) 前田智徳
4(一) 川上哲治
5(中) 秋山幸二
6(三) 内村光良
7(二) 上田晋也
8(遊) 有田哲平
9(捕) 伊東勤
先発 北里柴三郎
中継ぎ 金栗四三
抑え 天草四郎

1(右)尾田栄一郎
説明不要の世界一の売り上げを誇る漫画家。言うまでもないが代表作は『ONE PIECE』。
コミックスでは読者との交流や作品の裏情報の開示など読者サービスをおこなっている。内容はもちろんだが、こういった読者を大切にする姿勢が絶大な支持につながっているのだと思う。
また、『ONE PIECE 』は、『MEN’S NON-NO』の表紙を飾ったり、日清カップヌードルのCMになるなど、漫画としては異例のコラボを実現している。
主な記録
- 「最も多く発行された単一作家によるコミックシリーズ」としてギネス世界記録に認定
- 『ONE PIECE』の全世界累計発行部数は4億6,000万部突破(95巻時点)
エピソード ワンピースと検索すると・・・
ワンピースというキーワードでググると、検索結果の1ページ目は衣類のワンピースよりも漫画『ONE PIECE』関係の方が多く表示される。
すでに一般的な言葉として浸透している言葉を後発の固有名詞が淘汰するのはとんでもない偉業ではないだろうか。
2(左)橋本愛
HuAHuAオーデションでグランプリを受賞して芸能界入り。翌年、『Give and Go』で女優デビュー。
代表作は『告白』、『霧島、部活やめるってよ』、『あまちゃん』(NHK総合)など。
3(指)前田智徳
カープファンから絶大な人気を誇った元プロ野球選手。あの落合博満をして“天才”と言わしめた。
求道者のように野球を追求する選手で、アマチュア時代から納得のいくプレーができないと試合中でも悔し泣きしていたという。
1995年にアキレス腱断裂という大怪我に見舞われた。その影響から自分が満足するプレーができなくなり「前田智徳という打者はもう死にました」という発言をしたことはあまりにも有名。
選手生命に関わるような大怪我をしたにもかかわらず、現役23年続け、通算打率.302というとてつもない成績を残した。
4(一)川上哲治
シュアなバッティングが持ち味で、“打撃の神様”と呼ばれた元プロ野球選手。非常に三振が少ないのが特徴。
1951年には、424打席で三振6個という驚異的な記録を残した。三振についての数値はイチローと比較しても圧勝である。
また、監督として、日本シリーズ9連覇(いわゆるV9)を含め、日本一11回という圧倒的な成績を残した。
主な記録 選手編
- 通算2,351安打(歴代13位)
- 通算打率.313(歴代6位、イチローを含むと7位)
- 規定打席到達者による年間最少記録
- 首位打者5回
- 本塁打王2回
- 打点王3回
- 最優秀選手3回
主な記録 監督編
- リーグ優勝11回(日本一11回)
5(中)秋山幸二
清原、デストラーデ と共にクリーンアップを組み、西武の黄金時代を支えた元プロ野球選手。抜群の身体能力と走攻守三拍子揃った選手で、「メジャーに一番近い男」と呼ばれた。
1993年オフにトレードで福岡ダイエーホークス(現・ソフトバンク)に移籍。当時、Bクラス常連の弱小チームだったが、のちに強豪チームの主力となる小久保、城島らは秋山の背を見て育ったと言っても過言ではない。
主な記録 選手編
- 通算437本塁打(歴代15位)
- 本塁打王1回
- 盗塁王1回
主な記録 監督編
- リーグ優勝3回(日本一2回)
- 正力松太郎賞1回
エピソード 秋山監督のフリーバッティング
チームを3度のリーグ優勝(日本一2回)に導いた名将の名物といえば、フリーバッティング。
2012年には特大のホームラン2本を放ち、Twitterでは、現役復帰を望むファンも出現した。
2013年ポール直撃(ホームラン)、2014年ついにホームランなし(といっても、フェンス直撃のヒット)。高い身体能力は引退後も健在。
6(三)内村光良
人気お笑いコンビ・ウッチャンナンチャンのウッチャンの方。すでに大御所というポジションにありながら、いまだにコントや体を張ったバラエティを行うなど、お笑い愛を感じる芸人。
かつては運動神経の良いカッコいい芸人というポジションだったが、寄る年波には勝てないのか、最近では見事にポンコツ化し、哀愁を感じる。
7(二)上田晋也
人気お笑いコンビ・くりぃむしちゅーのツッコミ担当。近年はバラエティ番組のMCとして活躍している。
どんな大御所にも遠慮しないツッコミが特徴。また、例えツッコミやボケが秀逸。
エピソード アメフトの勉強
大のスポーツ好きとして有名な上田。アメフトの勉強のため、何度かオードリー若林宅で試合を見たのだが、決まって途中で寝落ちしてしまうらしい。
上田曰く「第4Qは天竺よりも遠い」。さすがの例えである。
8(遊)有田哲平
人気お笑いコンビ・くりぃむしちゅーのボケ担当。今では考えられないが、かつて『ロンドンハーツ』(テレビ朝日系)で、落とし穴ドッキリに引っ掛けられる事もあった。
9(捕)伊東勤
1981年ドラフト1位で西武ライオンズに入団。3年目からレギュラーを掴み、黄金時代を支えた名捕手。22年間の現役生活で14度のリーグ優勝(日本一9回)を経験した。
2004年から西武ライオンズの監督に就任。新人監督ながらCSを勝ち抜き、同じく新人監督の落合博満率いる中日ドラゴンズと日本シリーズを争い、ライオンズを日本一に導いた。
先発 北里柴三郎
日本の細菌学の父と呼ばれた細菌学者。破傷風菌の純粋培養に成功し、血清療法を開発。また、ペスト菌の発見するなどの偉業を成し遂げた。
また、北里研究所の創設、現在の慶應義塾大学医学部の創設、、慶應義塾大学病院の初代病院を務めるなど、教育者や実業家でもある。
中継ぎ 金栗四三
日本人初のオリンピック選手としてストックホルム五輪のマラソンに出場した。また、箱根駅伝の設立に関わったことなどから、「日本マラソンの父」と呼ばれる。例の大河ドラマの主人公のひとり。
主な記録
- マラソンのオリンピック最長記録(54年246日32分20秒3)
ストックホルム五輪のマラソン競技の最中、熱さと重圧のため倒れ込んでしまった。近隣の住民に助けられた金栗は、棄権の意思を伝えることなく帰国した。
時は流れ1967年3月、金栗はストックホルム五輪開催55周年を記念する式典に招待された。
そこで、金栗が失格ではなく行方不明扱いだった事が判明したため、ストックホルム五輪マラソンのゴールさせた。実にスタートから54年246日32分20秒3後のことだった。
抑え 天草四郎
江戸時最初期のキリシタン。キリスト教への弾圧と重税から、天草・島原地方で起きた一揆「島原の乱」の総大将とされる人物。およそ3ヶ月の籠城したが敗死。
以上、『熊本県出身の有名人で打線組んだ』でした。